March 03, 2005
はじめに言葉があった(John:1.1)
In the beginning was the Word...
新約聖書「ヨハネ福音書」は、このような書き出しで始まります。
大学のゼミではJ.S.バッハの「ヨハネ受難曲」を勉強しましたが、この曲は「ヨハネ福音書」の最後、イエス・キリストがユダの裏切りによって糾弾、処刑され、その後復活するまでを描いたオラトリオで、したがって、ゼミでは福音書もよく引用されていました。
と、まあ、キリスト教徒でない私が、ブログの初投稿にこんなことを書くのを不信に思われないように、まず言い訳してみましたが(笑)
・・・前置きはさて置き。
『はじめに言葉があった』
もちろん福音書におけるこの言葉の意味は、神様が預言されたことが現実になって、イエス・キリストという救世主が地上に遣わされる物語だから心して聞きなさい、という冒頭の言葉なわけですが、文明・文化論を考える時、これはその本質をついた言葉だと思うのです。
というのは、文明のバロメーターとされる青銅器が生まれる前、さらにその前、生活に必要な土器や矢じりが生まれる前から、人間はなんらかの「言葉」を介してコミュニケーションを取っていたわけで、つまり、いかなる有形の文明よりも、
『はじめに言葉があった』
言葉を学び、使うというのは、人間にとって実は一番原始的な行為なのではないか・・・。
つまり、趣味の外国語学習から、ついには仕事でどっぷりつかって(両方ね・・・「漬かって」と「使って」)いる私は究極に原始的な思考回路の持ち主なのではないかと思ってしまいました^-^;
というわけで、これからこの場をお借りして、いろいろとトリビア的知識から国際交流・理解、平和活動、災害救援活動、そして商売道具(?)の語学教育と海外留学についての情報発信をして行こうと思っておりますので、なにとぞよろしくお願いしますm..m
新約聖書「ヨハネ福音書」は、このような書き出しで始まります。
大学のゼミではJ.S.バッハの「ヨハネ受難曲」を勉強しましたが、この曲は「ヨハネ福音書」の最後、イエス・キリストがユダの裏切りによって糾弾、処刑され、その後復活するまでを描いたオラトリオで、したがって、ゼミでは福音書もよく引用されていました。
と、まあ、キリスト教徒でない私が、ブログの初投稿にこんなことを書くのを不信に思われないように、まず言い訳してみましたが(笑)
・・・前置きはさて置き。
『はじめに言葉があった』
もちろん福音書におけるこの言葉の意味は、神様が預言されたことが現実になって、イエス・キリストという救世主が地上に遣わされる物語だから心して聞きなさい、という冒頭の言葉なわけですが、文明・文化論を考える時、これはその本質をついた言葉だと思うのです。
というのは、文明のバロメーターとされる青銅器が生まれる前、さらにその前、生活に必要な土器や矢じりが生まれる前から、人間はなんらかの「言葉」を介してコミュニケーションを取っていたわけで、つまり、いかなる有形の文明よりも、
『はじめに言葉があった』
言葉を学び、使うというのは、人間にとって実は一番原始的な行為なのではないか・・・。
つまり、趣味の外国語学習から、ついには仕事でどっぷりつかって(両方ね・・・「漬かって」と「使って」)いる私は究極に原始的な思考回路の持ち主なのではないかと思ってしまいました^-^;
というわけで、これからこの場をお借りして、いろいろとトリビア的知識から国際交流・理解、平和活動、災害救援活動、そして商売道具(?)の語学教育と海外留学についての情報発信をして行こうと思っておりますので、なにとぞよろしくお願いしますm..m
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1. ヨハネ受難曲(リヒター指揮) [ 罪に手向かうべし ] May 01, 2005 00:45
今回は、1964年に録音されたカール・リヒター唯一のヨハネ受難曲をご紹介します。このリヒター盤は、私が初めて聴いたヨハネ受難曲の録音です。
ソリストはイヴリン・リアー(S)、ヘルタ・テッパー(A)、エルンスト・ヘフリガー(T)、ヘルマン・プライ(Br)、キート・エンゲ